さかき脳外科通信

6月20日、起工式を行うことになりました


おかげさまで造成工事は完了し6月20日起工式を行うことになりました。
これからいよいよ夢が形になると思うと嬉しいです。
東条設計事務所、渡辺組の関係者のみなさま誠にありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。

ところで昔話の続きです。
中学2年になる時、明和中学校が新設されましたので新2年生として新しい中学校に入ることになりました。
この私はビートルズの音楽に魅了されて毎日ビートルズを聴きまくっていたのを覚えています。
丁度来日10周年ということでキャンペーンをしていました。
中学2年秋から中学3年の秋までの1年間生徒会長を任されましたがあまりりっぱな会長ではなかったです。定期の行事を淡々とこなしていただけであったような気がします。
15歳の私はまだ自己発現ができていなかったですね。中学生くらいの年代によくあることなのかもしれませんがなりたい自分と実際の自分との間にギャップを感じていました。
鶴丸高校に進学しサッカー部に入りました。サッカーはかなり下手で最後までレギュラーにはなれなかったですが人間関係の勉強になりました。中学生の時よりは少し「人間らしく」なれた気がします。
高校1年の体育祭では学年の応援団長をしました。応援団リレーという競技があって団旗を持って走ったのを覚えています。
高校の3年間は勉強はあまり真面目にしませんでしたので3年生の受験前には医学部に入ることを諦めかけていました。入れる他の学部に入ろうとしていたのです。
ところが運命のいたずらとも言えるのですが共通一次試験(今のセンター試験)の直前におたふくかぜにかかったのです。今考えると怖いのですが髄膜炎、睾丸炎、膵臓炎を併発していると聞かされました。1週間40℃前後の熱が続きました。
おたふくかぜはどうにか治ったのですが本試験を受けられずに追試を受けました。結果は惨憺たるもので浪人をすることに決めました。どうせ浪人するのならと医学部を目指すことにしました。この大学受験浪人の1年間は本当に勉強をしました。これまでの私の人生で一番頑張ったと言える1年間でした。
それで昭和57年春鹿児島大学医学部に入学しました。
思うに高校3年の冬におたふくかぜにかからなかったら医師にはなっていなかったと思います。
私は神様が子供の頃からの志を思い出させてくれたのだと思っています。